【おしらせ】

ブログの投稿はnoteに変更いたしました。そちらでもお楽しみいただければ幸いです。

現実を受け入れるのだ

 

苦集滅道。

仏教でいう四諦(したい)である。

これは「苦」についての真理を4つに分けていっている。


ちなみに「諦」は「あきらめる」という漢字ではあるけど、四諦の「諦」はギブアップというような意味として使われているのではないのだよ。

「諦」の原語はパーリ語の sacca(サッチャ)であって、これは「真実」「真理」という意味なのだ。

つまり四諦とは、4つの真理のことである。


【真理】
いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。真実の道理。

コトバンクより


今回は四諦のうちの「苦諦」について書こうと思う。



苦諦とは「生きるって苦しい」ということである。

しんどいこと、いっぱいあるよねぇ~。


生きることについてポジティブに捉えるかネガティブに捉えるか、というのは、宗教の根底にあるものだとワイは思っている。

キリスト教についてワイは無知なんだが、キリスト教はおそらくポジティブにとらえるほう…だよね?

仏教はその逆で、生きることをネガティブに捉える。

だから子孫繁栄なんて謳わないし、輪廻転生説のもと、転生しないことを追求する。

仏教は「生きるって苦しい」から始まるのだ。


苦悩そのものを即座に解消するような、いわば直接的な手段や方策というよりは、むしろ苦悩に対処してゆくべきその在り方をとりあげて、それを熟慮しつつ、「答え」がなされる。いわば、外部の状況その他は不変のままありながら、みずから苦悩としているところが、実は苦悩ではなくなり、いつしかその苦悩がその内部において消え、安らかな境地にもたらされる、…。

講談社学術文庫『バウッダ[佛教]』中村元/三枝充悳(158頁)


釈尊は、総じて仏教は、つねにこの現実を直視し、凝視するという立場に基づく現実主義、と表現され得よう。

講談社学術文庫『バウッダ[佛教]』中村元/三枝充悳(158頁)


苦を内に抱き、欲望(煩悩)に眼のくらむことはあっても、その苦をそのまま見つめて、その消滅を、そして欲望(煩悩)を自覚して、その超克を、この現実の世界において実現しようとする。

講談社学術文庫『バウッダ[佛教]』中村元/三枝充悳(159頁)



ブッダ(釈尊)の教えはね、体系化された教義などではなく、【真理】なのだよ。

ただ【真理】を説いているのだ。

どこの場所においても、どんな時代においても、ぜったいに変わることのない原理・道理。

生まれた者はぜったいに老衰する。病気だってするし、必ず死ぬ。

それが普遍の真理だ。


いやぁ~、誰しもが頭ではわかっているよね。うんうん、わかっているのだ。

なのに、その真理に抗おうとするんだわ。

だから苦しくなるのだ。


「苦」とは何か。「苦」とは、あらためていうまでもなく、単なる身体的もしくは生理的な苦痛ではなく、日常的な不安または苦悩でもない。それは、「阿含経」に説かれるものを、極言して現代語に置き換えるならば、「自己の欲するままにならぬこと」、「思いどおりにならないこと」と解釈される。

講談社学術文庫『バウッダ[佛教]』中村元/三枝充悳(167頁)



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「この現実を直視し、凝視する」とあるように、まずは思いどおりにはならない現実を受け容れなければならないのだ。

それを経ることで、はじめて心の平安に達することができるのだ。

逆にいうと、現実を受け容れなければ今の苦しいままなのである。



これって障害の受容に似ているなと思った。

「障害」を「病気」に言い換えて考えてくれてもいいと思う。


↓ SLEの場合で描いてみた。

実務教育出版『心理学検定 基本キーワード[改訂版]

を参考にして描きました。



健康を害ってショックを受け、苦しむ。

受け入れがたい現実にもがき、あがく。


「友よ。わたしは止まるときに沈み、あがくときに溺れるのです。わたしは、このように立ち止まることなしに、あがくことなしに激流を渡ったのです。」

岩波文庫『ブッダ 神々との対話 ━サンユッタ・ニカーヤⅠ ━』中村元訳(14頁)


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これまで普通にできてたことが病気のせいでできなくなると、そのできないことにこだわって苦悩する。

その苦悩から解放されるには、できなくなってしまったという事実を直視して受け入れないといけないのだ。

できなくなってしまったという事実に抗って、やろうとする。

でも当然だが、できないものはできないのだ。

それは絶対に叶うことのない欲求なのだ。だから苦しい。


老いや死もそうである。

人は必ず老いて死ぬ。この事実から逃れることはできない。

逃れられないのに抗うから苦しくなる。


例えば、背中に羽根が生えて空が飛べたらいいなぁ〜♪と思うとする。

しかし、背中から羽根が生えて自力で空を飛ぶなんて絶対に不可能であることは当然である。

その、空を飛べないという事実・真理を受け入れているから、飛ぶことができないことに苦悩することはないし、そもそも空を飛ぼうとも思わない。


空を飛ぶことができない事実と同じように、苦しい現実も直視して受け入れる。

そうすれば真理に抗うことはしなくなり、苦悩から解放され、心が安立するのだ。

あるがまま、である。



ところで、ワイの場合はSLEだと判明したときに苦悩はなかった。

むしろ、それまでうやむやに放置されていた病気の治療が始まる喜びでウヒョーーーッ!という感じであった。


今回、ぶっきょの私見を書くうえで障害と病気をとりあげた。

ワイよりももっともっと厳しい障害と向き合っている人がいることは知っている。

そのような人たちからは「経験したことないくせに知ったふうなことを言うな!」とお叱りを受けそうな気がしなくもない。


それは申し訳ない。


今後、病気や障害にかぎらないけれど、ワイは今よりも大きな苦悩に何度も直面していくだろう。

その時には目の前の現実を素直に受け入れ、少しでも心穏やかにいれたらなぁ〜と思うのである。



 

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