【おしらせ】

ブログの投稿はnoteに変更いたしました。そちらでもお楽しみいただければ幸いです。

【ためにならぬ苦しみ】についての自論

いかなる世界においても、ことばによっても、心によっても、身体によっても、いかなる悪をもしてはならない。
諸々の欲楽を捨てて、よく気をつけて、しっかりと念い、ためにならぬ苦しみに身を委ねるな。

出典:岩波文庫『ブッダ 神々との対話 ━サンユッタニカーヤ━Ⅰ』

中村元訳 第35頁




ご高説を垂れるような解説ではござーませんよ。

そうゆう情報はネット上や書籍などにたくさんあるのでそちらを見るがよい。



ゴータマ・ブッダは、苦しみから解放されたいなら欲を離れろと言っている。

まぁご存知の通りである。

だから「ためにならない苦しみ」とは、欲があることで生じる苦しみのことだと思われる。

その苦しみに身を委ねるなとはつまり、欲を離れろということである。


まぁそうなんだけど、それとはちょっと違う感じでワイは思うことがあった。



「ためにならない苦しみ」の「ためにならない」が気になった。

ためにならない…つまり利益にならないということである。

ムダな苦しみ、不要な苦しみ。


この先の生活が経済的に不安だ。

病気が悪化するんじゃないかと不安だ。

いずれ認知症になるんじゃないかと不安だ。

死ぬのが怖い。


あのときやっておけばよかったな。

もう少し気を付けていればこうはならなかったのに。

なぜあのとき気づかなかったのだろう。

こんなふうになるなら若い時にやっておけばよかった。


ひとはこうやって、将来を悲観したり、過去の行為をふりかえって後悔したりして苦しむ。


だけど、将来(未来)なんてその時にならないと実際にはわからない。

自分が予想する未来とはまったく異なる結果になることなんていくらでもある。

その時が来ないとわからないことについてあれやこれやと勝手な想像をして不安になるなんて、なんの利益もない行為である。

そんな想像は妄想なのである。


そして過去については、すでに終わってしまったことなのだから、思い出して後悔したところでどうにもならないのだ。

ただ後悔の念に苦しむだけなのであれば、それは自分をいじめているだけでなんの利益もない行為である。

後悔したところで過去の結果は変えられないのである。


そんな不安や苦しみに身を委ねるという行為は、自己憐憫なのかもしれない。

「あぁ…なんて自分は可哀想なんだろう」

うーむ、そうゆう気持ちに酔いしれていると考えるとちょっと恥ずかしいぞ。



「いま」を生きる

つまりはそういうことだ。

「いま」自分が心地よくいられるように「いま」に集中すべきなのである。

そうすれば心が安定するのである。


過去も未来も「いま」の積み重ねである。

だから、「いま」を大切に過ごすことで過去を後悔することはなくなるし、未来は良くなる。

・・・かもしれないよ(笑)



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